ポツンとカサンドラ

パニック障害 カサンドラ症候群 子どもの不登校からの回復記   

カサンドラ状態によって引き起こされる、様々な身体と心の病気の情報を掲載。
パニック障害や、子どもの不登校問題に取り組んだ記録です。
読んで下さる方と、一緒に乗り越えてゆくためのブログです。

カサンドラ症候群

子どもが生まれてから、比較的安定していた
関係がギクシャクしてきました。
転勤で新しい土地へ引っ越し、仕事もその頃には
辞めていました。
私は手がかかる子どもに、いっぱいいっぱいで、
しだいに夫への気遣いが減っていきました。


そして、手伝って欲しいことや要求が増え、
それを夫は疎ましく感じていました。


初めての子育てはとても心細い。
一日中二人っきりで、誰とも話さない日もあったり。
たぶん私はあまりキャパがない方で、ストレスを
感じていたのだと思う。

コミュニケーションがないことへの不満を、
ストレートに表すようになっていきました。


夫に精神的なつながりを期待していた。
子どもが二人の宝物だと実感できる会話。
こう思った、こう感じたと相手に素直に言える関係。


だけど、夫が帰って来ても私が子どもの一日を報告して、
それ以外は会話にならない。
「大変だったんだ」と愚痴を言おうものなら、怒られる。
愚痴を逆手に説教が始まるから、夫に甘えられない。
優しい言葉なんて期待できない。
私はますます追い詰められていって、
不機嫌な日が増えていった。


夫婦が「子育て期」に移行するにあたって、
ボタンの掛け違いはどこにでもあるものです。
「さっきは言い過ぎた,ごめん」とか言って
お互いの気持ちを話して、関係を修復できれば
問題ないんだと思います。


でも、うちの場合話し合おうとしても
「疲れているから」と拒否されたり、手紙を書いても
そのままスルーをされたりして、夫が今の状況を
どう思っているのか。夫の思いとか、気持ちを知る術が
ありませんでした。


私がどんなに気持ちをぶつけても
その壁は高くそびえたち、びくともしませんでした。


私がもっと大人しい女性で、夫に文句も言わないような
人だったら、うまくいっていたのでしょう。
私は一見大人しそうで、でも意外と闘ってしまうんです。
自分でも、自己嫌悪に陥ってしまうけど、
納得いかないと、状況を改善しようと行動したり、
気持ちにうそはつけないんです。


相性が悪いといえばそれまでですが、
お互いにお互いがストレスになっていったのでしょう。


次第に「あれ?」と思うような、夫からの傷つく言動に
悩まされるように、なっていきました。


「さすが、おれの子どもは優秀。それに比べてお前は」
と、ことあるごとに子どもと比べられたり。
私の落ち度や欠点ばかりをついてくるようになったり。
当然私の意見なんて聞き入れてくれるはずがありません。


もともと並んで歩くということすらできない人でした。
手をつなぐのは苦手とか言ってました。
結婚してからはいつも私の前を歩くひとでした。


夫は子どもとだけしゃべり、普段私に話し掛けないくせに、
子どものことで何か問題が起こったときや、
私が何か失敗した時には、全力で、饒舌に、
けなしにきます。


夫からの否定・拒絶に苦しめられ、PMSもひどくなり、
生理前には感情を抑えることが難しくなり、
婦人科で相談してピルも飲み始めました。


話しかけると嫌な顔をする人と、どうして結婚なんて
したんだろう?といつも考えてしまい、
離婚か、もう少しがんばるかと揺れ動く日々の中、


ある日新聞の一面の下の、本の紹介欄が目がとまりました。


「一緒にいても一人」という本でした。


なんだかピンときて、早速図書館に借りに行きました。


読んでみて、とても合点しました。
夫はアスペルガーかもしれない。


だから、バレンタインにチョコのお菓子を
手作りしても、平気で「要らない」と言ったり、
「老けたな~」とか「太ったな」とか
人の嫌がることばかり言ってたんだ。


私がいつもうつっぽいのは、


「カサンドラ症候群」


だからなのかもしれない!


その時は何か解決の光が、差し込んできたような
気がしました。




夫は、出会った頃は大人しく、紳士的で、仕事熱心で
決して悪い印象ではなかったです。
なぜか彼と話す時、小さい頃既に亡くなった祖母の存在を
度々意識することが多くなり(目には見えませんよ)、
「この人、いい人よ」と後押ししてくれているようで、
なんとなく「この人と結婚するんだ」という気がしてました。



職業も安定していて、がつがつしていないし、優しい。
お互いいい年して独身で、会話はいつも私がリードする
形で、めでたくゴールインしたのです。


私自身恋愛には奥手で、お付き合いした人はいたけれど、
きちんとした恋愛はしてこなかった。


女姉妹で育ったので、どこか男性に対する居心地の悪さを
感じて、自分をさらけ出せる異性の友人もできなかった。
だから、男性の本質とか、本当に結婚に向いてる
男性の見分け方とか、全く分からず、
お見合い結婚と同じように、良い条件なら、と思って
いたのでしょう。「そろそろ結婚しなければ」プレッシャー
にも追い立てられていたのだと思います。


「好き」という気持ちは当初もちろんありました。
年上で、お兄さんみたいな雰囲気。
私は「お兄さん」というものに憧れもありました。
なんでもわがままを聞いてくれそうな、
「しょうがないな~」と笑って許してくれそうな、
甘えられる雰囲気。
少女漫画育ちなもので・・・。
つい、夢見てしまってました。


でも、打算的な気持ちもあったから自業自得なのでしょう・・・。


結婚してから不満が出てくるようになりました。
会話は私からばかり。こっちから何か質問すれば
続くのですが、煙たがられることも増えてきて、だんだん疲れてきました。
向こうから、「これどう思う?」とか「今日こんなことがあってさ」
みたいないわゆる日常会話がない人でした。
いつもテレビかパソコンばかり見ている人でした。



子どもができれば変わるかな?と期待し、仕事を続けて
結婚から4年目に待望の赤ちゃんが生まれました。

子どもは、甘えん坊で、内気で気弱なタイプです。
外で我慢している分、家ではたまに癇癪を起こしていました。


一人っ子だったし、いとこも年上ばかり。
少し遅めに結婚して、しかも筋腫があったため、
なかなか妊娠できなかったから、
そんな子育て環境になってしまったことを、
「兄弟がほしかった」と言われる度に、「ごめんね…」
と謝ってました。


小学生の頃は嫌なことがあると、わーわー泣いて私に愚痴って
いたけれど、学校をほとんど休まずに卒業できました。


中学に入り、運動が苦手なのに運動部に入ってしまった。
これがそもそもの間違い。
顧問の先生は50代の昔ながらの根性論指導者。
ハッパをかけて、叱り飛ばすことで、子どもは強くなると
信じているようだ。そうした指導方法しか自分も受けて来なかった
だろうし、他に方法を知らないのだろう。


暴言を良く吐いて、子どもはストレスまみれ。
次第に食欲をなくしていった。
(詳しくは「不登校」の方に書く予定)
子どものストレスは、私のストレスにもなっていきました。


7月に入り私は不眠症を抱えながら、
考えるべきこと、やらなきゃいけないことが多すぎて、
ますます調子がおかしくなっていきました。
息抜きにと散歩をするのですが、ふらふらしたり、息が切れる
ような感じもありました。


焦りを感じやすくなり、背中の上の方がきゅーっと痛くなって、
料理がまったく進まなくなってしまう日がありました。
にんじんを切っては、途中で休み、みそ汁すら
作れないほど、血行不良という感じで、息がしづらい
感じがしました。


夫に電話して早く帰ってきてくれるか、頼んでみました。
弱弱しくなっている時は、ちゃんと助けてくれるんだな~
と、その時はほっとして背中の痛みも少しほぐれた
気がしました。でも、いつもいつも、「離婚」という
言葉が頭をちらついてしまうのです。









入眠障害が始まったのは、パート、夫のこと、
子どもの学校生活のこと、家の購入、様々なストレスが
重なったことが大きく関係していますが、直接のきっかけは、
上の階に住んでいる方が、深夜に水道を使う音が気になって
しょうがなくなったことです。


「ウォーターハンマー現象」というらしいですが、
水道の開け閉めの際に、水圧が急に変わることで、
「キュッ、ボン」といった大きな音が聞こえるのです。
古い建物で、上下階の音は良く響く中、気を使って静かに
生活してくださっていたのですが、深夜2時とかに
その音で何回か目が覚めてしまうと、またその音が
聞こえるんじゃないか?と神経質になって再び入眠
できなくなって朝を迎えたり、そのうち最初から寝付け
なくなってしまいました。


次の日があまりにも辛いし仕事にも支障がでるので、
内科で睡眠導入剤を処方してもらいました。
今に至るまでずっと飲まないと寝付けません。
完全な不眠症です。


その時は、上の階の方を恨んでましたが、
もうその時はすでに自立神経に不調をきたし、
交感神経が優位で興奮しやすく、睡眠のホルモンなども
出にくい状態だったのでしょう。


交感神経が優位になった状態だと、怒りっぽくなり、
ちょっとしたことで、キレやすくなります。


その頃は家族に対して本当にイライラしていました。
夫とはもともとコミュニケーションが取れず、
悩んでいたし、子どもも部活がストレスで毎日の
ように愚痴を言って、食欲もなく、宿題もできず、
私は心配ばかりしていました。

48歳の時でした。

当時は主婦業・パート・趣味・自宅の購入のことに
奔走して、かなり活動的でした。


夢にあふれてました。自宅は中古でもいいから
一戸建てに住みたい。自宅兼店舗にリフォームして、
将来子育てが一段落したら、そこで何か始めたいと
思っていました。

ですが・・・。


疲れやすくなってきているのは、感じていました。
今思えば、家を購入するという一大イベントにハイに
なり過ぎて、体に色々問題も起きているのに、
気が付かず、予定を詰め込み過ぎてしまっていました。


色んな自律神経の乱れのサインが出ていることに
気が付かなかったのです。


パートは重度訪問介護ヘルパーで、特殊な障害を持つ方
の身の回りのお世話でした。私の担当の方は、
人工呼吸器をお使いだったので、痰の吸引の資格もとり、
かなり神経を使う仕事でした。スピード勝負なのに、
かなり動きがトロかったようで、良く怒られていました。
時々深呼吸を意識しないと、息苦しく感じるように
なってきていたし、長時間の立ち仕事も辛くなってきました。


リフォームの手配や、引っ越しもあるので、
この仕事はそろそろ潮時かな~と思い始めていたの
ですが、なかなか介護の人員不足で、事務所には
言い出しづらい雰囲気でした。
言い出し辛いがために、週に1、2回なら続けられるかも・・・。
とまだ、辞める決心はついていませんでした。


2017年6月銀行にローンの本申し込みが終了。
いよいよ、後戻りできないところまできました。


その頃、不眠症が始まったのです。

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